2014年4月4日金曜日

バックナンバー(第21~30号)

【第30号(1995)】
凶作飢饉常襲地域に見られる生存戦略―津軽新田地帯を事例として―名本 光男(1)
南アジア雑穀ノート近藤 英夫(25)
1995年度 東海大学史学会大会 公開講演
教会の文化と民衆の文化―中世ヨーロッパの幽霊―渡邊 昌美(39)
書評 馮爾康等著『中国宗族社会』(浙江人民出版社、1994年)小林 義廣(59)
彙報(71)
ヨーロッパ中世貴族史研究の一動向―ハイリンヒ獅子公没後800年記念展に寄せて―桑野 聡(98)
コンスタンティノープル主教会議(1089年9月)考都甲 裕文(122)
ロシア帝政時代の中央アジア研究(補遺)香山 陽坪(130)


【第29号(1994)】
「鎌倉城」考―『玉葉』寿永二年一一月二日条をめぐって―石丸 煕(1)
王莽の易姓禅譲革命について渡邊 さおり(37)
1994年度 東海大学史学会大会 公開講演
古代蜀文化―三星堆遺跡について―徐 朝龍(67)
彙報(93)
八幡台遺跡出土の縄文時代後期土器について秋田 かな子(114)
ロシア帝政時代の中央アジア研究(3)香山 陽坪(140)


【第28号(1993)】
1993年度 東海大学史学会大会 公開講演
江戸時代論―浄因の七執職提案を中心に―佐々木 潤之介(1)
彙報(111)
Historia Welforumの成立に関する諸問題―ヴェルヘンとヴァインガルテン修道院―桑野 聡(52)
ジャルモ遺跡考―石製容器の分析から―水沼久和・禿 仁志(84)
ロシア帝政時代の中央アジア研究(2)―V.V.バルトリドをめぐって―香山 陽坪(114)


【第27号(1992)】
論文 藩政期の益子焼について曽根 総雄(1)
史料紹介 茨城県岩井市拾ニゴゼ貝塚表採資料にみる縄文晩期中葉の様相宮原 俊一(21)
彙報(33)
論文 ロシア帝政時代の中央アジア研究香山 陽坪(1)


【第26号(1991)】
論文 ナイフ形石器研究の視座と定点伊藤 健(1)
史料紹介 吐魯番敦煌発見の『三国志』写本残巻片山 章雄(33)
書評 伊原弘著『中国開封の生活と歳時―描かれた宋代の都市生活―』小林 義廣(45)
彙報(57)
論文 12世紀貴族の家系意識の形成について―ヴェルフ家の北ドイツ国家建設を例に―桑野 聡(1)


【第25号(1990)】
論文 筑紫胸形君考―五世紀を中心として― 正木 喜三郎 (1)
西突厥の東方経路とその影響について 北條 祐英 (73)
住居廃絶時における竈解体をめぐって―竈祭祀の普遍性の一側面―提 隆 (93)
阿部武彦教授略年譜・主要著作目録(115)
彙報(119)


【第24号(1989)】
論文 欧陽脩の生平と疾病小林 義廣(1)
報告 相模における古墳の測量調査東海大学文学部
考古学研究室
(29)
彙報(111)
Article The Greco Turkish war and JapanWATANABE Michihiro(1)


【第23号(1988)】
論文 近世村落確立期入会地争論曽根 総雄(1)
資料紹介 埼玉県鴻巣市登戸勝願寺採集の中世陶器について岡田 賢治(25)
書評 毛利敏彦著『江藤新平―急進的改革者の悲劇』松尾 正人(37)
目録 宮川尚志教授著作目録(49)
香山陽坪教授著作目録(65)彙報(71)


【第22号(1987)】
論文 角錐状石器の形態と技術織笠 昭(1)
調査報告 中国における農業史研究の現況―中国農業史研究機関訪問記―渡部 武(49)
資料紹介 「小倉出張日記九州路日記手扣」―八王子千人同心八木甚之助忠直の記録―日露野 好章(69)
彙報(111)
研究ノート コンスタンチノープル条約(10961097年)に関する諸解釈都甲 裕文(1)
「10・11世紀のシュヴァーベン太公と Kunovon Ohningen のジッペ」―中世貴族研究の一動向―桑野 聡(27)


【第21号(1986)】
論文東晋南朝の公田藤家 禮之助(1)
南朝後期の豊後国守護について山口 隼正(19)
1890年代のアメリカ合衆国と東南欧移民問題
―アメリカ防衛協会と移民制限同盟の排斥運動を中心に―
山本 英政(53)
研究ノート ラダックのチベット仏教寺院―建築史的立場から―小磯 学(77)
調査報告 下野西明寺城跡の測量調査報告石丸 煕・宮﨑 泰次(97)
彙報

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